座標軸(作品)の原点にある自然石は、表面だけ綺麗に磨いてあります。私は長野県の小諸市に住んでいて、浅間山っていう山が北側にあるんですけど、1万5000年前に大噴火をしたことがありました。(山の)上の部分が全部吹っ飛んで、軽石流と溶岩流が流れて大地ができて、その上に現在の小諸市があります。だから地中を掘ると、溶岩の石と軽石しか出てこないんですよ。ところが私のアトリエの近くを少し掘ったらこういう(座標軸の石)細長くて、すべすベした石が出てきたんですね。この石は絶対そこに(自然に)あることはありえないんです。浅間山の噴火で出てきた石じゃないんです。下流にある千曲川から誰かが何かの目的のために持ってきて置いたものだと思うんです。それは私のおじいさんかもしれないし、その先代かもしれないし、もっと言えば縄文人が持ってきたものかもしれないし、それは全然わかんないです。でも、それだけでこの一つの石に対して、ロマンが生まれます。
岬に、もしこれ(「岬の先の座標軸」の作品)があったとしたら…ということをイメージしてもらいたいんです。(いずれ)木は全部朽ちていっちゃうけど、石は多分そのまま存在します。そうするとなんかそれだけですごく意味があることにように思います。